<曽束のルーツ?>
うちは、久御山の下津屋の一族。うちは、庄屋してたとか聞きました。
「曽束一族」は山城の国「曽束の荘」の出身で、そこから一部が京都南の下津屋に移住したようです。
「曽束の荘」のことは、中世の裁判記録に出ています。水の争いだったようです。
下津屋では、「年貢軽減」のために、百姓一揆を10年も続けていた記録があります。
藤原氏と渡来人の秦氏が曽束村で朝廷に仕える仕事をしていたらしく、源氏の末裔だの、挙げ句の果て(?)には、
「元々は『泰国(Thailand)』出身」とかいわれています。
源氏の末裔のタイ人…ってことでしょうか?よくわかりませんが…。
私のわかってる限り(江戸末期〜明治初期)日本人の祖先しかわかりません…
わからないことだらけ…

大石曽束
地名は、別のところにありますが、元々ここらへんにいたそうです。

曽束不動明王
『曽束不動明王』って書いてあり、左横のがその像なんでしょう。中には入れません…。
まわりに人がいません…。聞く人もいません…。
貴船神社っていう神社と帰命寺の間の曽束不動明王堂におさめられていますが、貴船神社のものなのか帰命寺ものなのかよくわかりません。

曽束川
こんな川が存在します…。

曽束川から上流へ
小さな川から上流を望みます。


曽束川から下流へ(曽束大橋)

下流を望むと瀬田川に広がり、奥には曽束大橋が見えます。


曽束大橋

曽束大橋。これは有名です。

昔は『曽束の渡し』なんぞがありまして。

戻る


webmaster@sotsuka.com